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縞模様のパジャマの少年

こんばんわ、Awesomeです。
いきなりですが、掲題の映画おすすめです。
ナチス・ドイツが創設した強制収容所。そこにいたユダヤ人の子供とナチス・ドイツ人の軍隊隊長の子供が『友達』になるストーリー。内容はもっと深刻な話なのですが、今回は他国・他人種との交流について焦点をあてるために『友達』を使用してます。



みなさんは、違う人種の方々と友達になったとします。世間的にはお互いの国同士が敵という認識のもとである場合、どのようにその友達と接していきますか?
そしてこのようなことを考えたことがあるでしょうか?


よく日本のメディアが日本とある国で問題があると報じた際、よく日本人の方々がネットでその国を批判する記事などを見かけることがあります。私がいつも疑問に思うのは、批判する方はその国の方々を本当に知っているのでしょうか。現在日本に存在する歴史の勉強は教育やメディアからの知識、インターネットあらゆるところから情報を得ることができます。しかし、この映画が示すようにヒトラー政権の時代、米軍が強制収容所を開放するまでのあいだ、ナチスは、ユダヤ人を卑劣で最悪な人種と報道していました。つまり、教育においてもユダヤ人は悪い人々のような認識にさせていたのです。ここで私も声をあげたいのは、『~人だから卑劣だ』『日本の歴史で勉強したから絶対そうだ』はありえません。日本で、ある日本人と会話した際、”台湾人は新日だけど韓国人は優しくない”のようなことを聞いた覚えがあります。これだけじゃなくステレオタイプとして『~人はこうだ』のように言う方がいました。例えば、彼らが台湾や韓国に直接行って台湾・韓国人と会話したり、日本で友達になって彼らは優しいよならば、まだ一つの例としては説得力がありますが、関わったことがないのにも関わらずあれこれ言うのは私は違うと思っています。私は、台湾人、韓国人の友人がいますが彼らは友達です。文化や習慣は違えどお互いのことを尊重しあえています。そして話し合いができています。なにごともメディアに流れている情報に惑わされず直に感じた気持ちを大切にすべきと思います。お互いのことを尊重できるならばそういった国の問題も話しやすくなるのにと感じます。今の日本の政治を見ていると結果を急ぐあまり、”お互いのことを知る”という点に重点をおいてない気がしています。


ここから話すとキリがないので今日はこのへんで(笑)


よければ、この映画みてみてください~
最後までお読みいただきありがとうございました。


Awesome Andersonでした。

縞模様のパジャマの少年


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